ケンってどんな人?僕のプロフィールをまとめてみた

どうも、ケンです。


今回の記事は
僕のことをまとめてみました。


ブログではいろいろ言ってるが、
結局ケンってどんな人なん?

って思ってる人もいるかと思うので、
ケンはどんな人なんってことを
まとめてみました。



幼少期の頃から話しているので
それなりにボリューミーになってます。



年表みたいな感じなので
ぜひ、こんな人なんやなーって思って
今後のブログやTwitterなどでも
読んでもらえたらなって思います。


あと、楽しみながら
僕のことを知ってもらえたらなって思います。

それでぜひ、共感してください。(笑)


では、いきますね!

ケンのプロフィール



〜0歳〜


山口県長門市で生まれる。

父親が警察官でしたので、
転勤族で山口県の市を
いろいろ転々としていました。


あと、別に長門市に住んだわけじゃないのです。(笑)


その時は下関市にいる
おばあちゃん家にいて、
たまたま長門市に外出してた頃に
長門市の病院に駆け込んで
僕が生まれたって感じになります。


おばあちゃん家は角島らへんなので
山口県の中では
有名な観光スポットになります。



その近くの角島プリンや
角島ジェラートは格別です。



ぜひ、山口県に旅行に行った際は
角島大橋に寄ってみてくださいね。




〜3歳〜


岩国市で生活して
岩国市の幼稚園に通う。


なんでかわかんないけど、
当時は幼稚園の先生が
めっちゃくちゃ怖かったですね。(笑)


何か怒られたわけじゃなくて、
なんか声のトーンとかが怖かったんだと思います。


幼稚園の先生の声が
とても低かったんでそれを恐れていたのかな?

知らんけど。(笑)


それから、
父親の昇進で引っ越すことになったので
岩国市の幼稚園からはおさらばすることになりました。



岩国市の近くの田布施町っていうところに
引っ越しました。


それで幼稚園の怖い先生と写真を撮ったのですが
確か泣いていましたね。


ギャーギャー言ってた感じしてましたが、
無事写真は撮れました。


よかったです。



〜8歳〜


おばあちゃん家の近くの海で
泳いでいたら
顔にクラゲが刺されました。


いきなりなんだ!?
って感じですよね(笑)


僕は小学生の頃、
近くの海で夏休み泳いでいましたが、
アンドンクラゲという、通称電気クラゲ
そのクラゲに刺されました。


刺さった場所は顔です。


刺さった場所が場所なだけに
本当に痛かったです。


ちょー痛くて、おばあちゃんが大騒動でした。(笑)


どうしよう。どうしよう。
みたいな。



今も跡があります。

それくらいの痛い
クラゲに刺されましたね。


盆近くの海はマジで気をつけたほうがいいです。

僕みたいに
クラゲに刺されますよ。(笑)




〜13歳〜


部活で卓球部に入ります。

父親のお兄さんが
卓球の業界に精通してるので、
いろいろ教えてもらいました。


山口県で卓球副理事をしていて、
石川佳純選手をちょっとだけ
コーチしたこともあるそうです。


笑点の三遊亭小遊三とか山田たかおさん
とも会ったことあったんですけど、
1歳か2歳の頃だったので
全然記憶にないんですよね。




でも、山口県卓球副理事から指導あったおけげで
市の大会などで何回は優勝できましたね。



僕は勉学よりも
部活に全集中でしたので、
マジで勉強の成績は終わってます。(笑)


中学校の学年が200人ぐらいいたんですけど、
その中で110位〜150位をうろうろしてました。



結構頭は悪いほうです。(笑)

偏差値も多分31とかじゃないかな?


正確に調べたことがないから
わかんないですけど。



そのくらい頭の出来が悪いので、
あまり難しいことは言わないようにお願いしますね。

奇想天外なことを言うかもしれませんよ。(笑)




〜16歳〜


卓球の成績で地元の卓球が強い高校へ
推薦枠で入学しました。


その高校は
県2位の成績を誇る高校です。



中学生で市内の大会や県大会に出場して
ある程度成績を残していたので、
中学生ながらで高校の部活に参加したりしてました。

そのおかげで
卓球部の顧問から
推薦があり高校は楽々入学できました。



高校の入学するときは
一般受験とかするんですけど、
その一般受験の倍率は30倍とかの
高校でしたので推薦で入学できたのは
ラッキーでしたね。

しかも推薦は定員割れをしていたので、
マジのマジでラッキーでした。



推薦する時は
面接があったので
あまり緊張せずにいけたと思います。


当時の記憶はないですが。




〜18歳〜


高校の思い出といったら、
部活の卓球しか思い出がなかったですね。


平日の日は16時〜20時まで部活。
休日は8時30分〜18時まで部活。
もしくは大会や遠征などの休日でした。

お盆と年末年始以外は全て
卓球漬けでしたね。


全国まではいけませんでしたけど、
中学大会まではいけました。


団体戦では山口県で2位で、
中国大会では最高成績は
13位ぐらいだったと思います。



めっちゃ胸を張って誇れるほどではないですけど、
まぁがんばりましたね。


がんばってがんばったおかげで
体育会系みたいになって
根性はついたかなって思いますね。



だからこそ、
根性論を言いがちになりますね。

そこは気をつけていきたいなと。(笑)




〜19歳〜


高校卒業をして
広島県の大手の会社に就職します。


大手というのも
一応、就職したいホワイト企業100選みたいな
雑誌があったんですけど、
その中で8位か9位ぐらいでした。


「ええー!
俺らが働いてる企業ってこんなにホワイトなんだ」
って思いましたね。



ここで思ったのが
その企業って一応レベルは高くて
高校の成績も良くないといけないらしいです。


僕は先ほど言ったように
頭は良くなかったのでほぼ運。



面接もまーひどかったと思うので
なんで採用してくれたんか
全然わかりませんでした。(笑)



SPI試験なんかめっちゃひどかったです。


点数で言ったら半分切ってるんじゃないか?

そのくらい
ひどい手応えでしたね。



本当マジでなんの要素で
採用したんだよ。。。
って思ったんですよね。




と、まぁ
無事就職もできたので
よかったかなって思います。




〜20歳〜


山口県から広島県に引っ越したので
周りに同期の友達しかおらずに
知り合いを増やそうと思い、
飲屋街に行ってました。


今思うとアグレッシブやなーと。


そこで、あるバーにいって
バーベキューのお誘いがきます。


おのバーベキューの主催が
アムウェイに精通してる人で
そこで初めて副業というものに
手を出していきます。



初めての副業が
アムウェイっていう。


そこに軽く90万ぐらい投資をして
3日間ぐらいでやめましたね。


だから、借金90万が残りましたね。

20歳で。



いや〜これも苦い思い出になりますね。

教訓として自分の人生に刻んでいきます。




〜23歳〜


借金2000万円問題のニュースが流れて
本格的に副業をやらなくちゃと思い、
副業の世界に入っていきます。


お金の問題は
やはりいつの時代も悩まされますね。



朝10時ぐらいで
布団にくるまって携帯を開いて
LINEニュースで流れてきたんですよね。


『退職しても2000万円ぐらい足りないよ!』って。


えー!!!!


じゃ普通に働いていたらやばいやん!って。


当時はそんな感情だったと思います。




それでどっぷり副業の沼にハマっていきます。




〜24歳〜


ついに自己破産をしました。


24歳10月の時点で
借金が4000万円近くも
膨れ上がっていたので
自己破産という選択をしました。


自己破産については
別の記事で取り上げましたので
ぜひ、そちらを読んでみてくださいね。



かなり壮絶な僕のターニングポイントになってます。


マジで本当にすごかった。



自己破産なんて
自分はしないって思っていたので。



ということで
24歳で自己破産をしました。




〜25歳〜


自己破産でうつになりました。


これはもう
自己破産で悩んで悩んで悩みまくって

「本当に自己破産をしてもよかったのか?」
「刑事罰ならないのか?」
「自己破産できるかな?」

そんな思いが
ぐるぐると回っていましたね。



それでうつになりました。


ちなみに
うつに関してはもう治っていて、
自然にめっちゃ触れて治していきました。


別記事でも書いたんですけど、
うつになると
布団の上から一向に動きたくなくて、
ずっと無気力状態。



無気力だから、
何もしたくなくて、
食事なんてほぼ取ってないんじゃないか?
ってぐらい。


そのくらい何もしたくなかったです。



でも、自然に触れて
治って本当に良かったと思いますね。


本当に。。。

今こうやって
年表を書けていますからね。




〜26歳〜


自己破産が終わりました。


自己破産がようやく終わって
借金が法律的になくなって
自由身軽になりました。


債権者にはめっちゃ迷惑をかけたけど、
僕の精神は本当にやばかったなって思います。

これで自殺をする人がいますからね。



自己破産が終わった時なんて
本当に涙したと思います。


それくらい辛かった時期でしたし、
相談できる人もほとんどいなかったですしね。




自己破産の重りに押しつぶされそうな感覚。

その重りがなくなって
めっちゃ軽くなった。



自己破産が本当に終わってよかった。

そのくらい心から思いましたね。



マジで良かった。。。




自己破産が終わってから、
僕はクレジットカード10年間作成できなくなりました。

ローンも10年間できないです。


だからこそ
僕はビジネスに取り組みました。


てか、そこはやらなくちゃなーと。


お金問題はずっと付き纏ってきます。



だからこそ解決しなくてはいけません。

お金が全てではないと言いますが、
それはお金を持った人たちが言うセリフだと思います。


お金を持ってない僕がそれを言うと、
ただの言い訳でしかありません。


行動しない言い訳です。



だから、自己破産が終わっても
ビジネスを続けました。


ビジネスをするには
自己投資も必要だと知ってましたので、
自己破産が終わってから半年で
250万円以上は自己投資に使いました。



これって結局トータル250万円以上
リターンが来れば良くない?
って感覚で投資したので
全然OKです。


この感覚でこれからも自己投資をしていこーと思います。



伝いたいこと



僕の年表はこんな感じになります。


で、伝えたいことって
挑戦していこーぜ』ってことです。


挑戦すると
人生に意味を見出せます。





ちょっと哲学っぽいことになりますが、
生きるってなんだってことを
考えたことがあります。


なんで僕は生きているんだろーなって。


結局死ぬんだから
意味なくね?
って。



でもやっぱり死ぬのって怖いから
どうにかして意味を見出すんじゃないかなと。


挑戦して失敗して成功して
自分が生きてきた人生はめっちゃ意味があった!って。


死ぬ時には
こうやって思いたいなーと。



後悔なんてない!
俺の人生はめっちゃ楽しかった。

人生楽しんで楽しんで行けたぞ!

意味があった!


そんなことを思って死にたいなって思います。



だからこそ、
挑戦をしていきます。


これからもです。


自己破産なんて
人生単位で考えたらちっぽけなものです。


その自己破産に囚われて
挑戦できなくなるって
僕はもったいないって思いますね。



僕は自己破産をした身なので
挑戦したくない、
ずっとこのままでいたい、
って思うのもわかります。


でも挑戦しないと
人生に意味を見出せません。



これが死ぬ時に怖いなって思います。

すがるものがないからね。



挑戦して自分の人生に意味があって
それをしっかり想うことができたら
そこにすがって死ぬことができる。


こう思ったから
僕はどんどん挑戦していきますし、
人生に意味を見出します。



だから、この記事を見てるあなたにも
人生についてガッツリ考えてもらって
人生に意味を見出せるといいなーって思います。


これできると
きっと死ぬ時も怖くない。

そう思ったので書いていきました。


あ、あと
僕のことをもっと知ってもらえたらなって思って
年表みたいに書きました。


ちょっとでも
親近感が沸いてくれたらなって思います。



では、また!

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